2000 Asia(2) Malacca マラッカ
- Toshi

- 2000年2月28日
- 読了時間: 4分
更新日:3月29日
ようやくマラッカに到着。バスターミナルに溢れかえるバスの排気ガスと、ドブ川の臭いが「アジアに来た~♪」と思わせてくれた。

バスの中で会った、11ヶ月旅に出ているというオーストラリア人と別れ、シンガポールで教わった宿をさがす。

表はフツーの民家風の宿を発見。おばさんのまったく意味不明な英語を聞き流しながら、チェックイン。 シングルの空きはなくドームもだれも泊まっていないらしいので(一人だけのドミトリーはさみしい。)奮発してダブルの部屋を。
そこらじゅうに、手作りの装飾が見られる綺麗なGuest Houseだった。ちょっと奥に行くとダイニングキッチン(半分屋外)があり早速ノートに記入してハイネケンを一本。前日寝ていないせいか眠くなったので部屋で荷物整理しながら一眠り。
目が覚めたらもう外は真っ暗。「しまったと」思いつつオーナーらしきおじさんに食事出来るところが近くにあるか聞いていると、チェックインしていた日本人女性が声を掛けてきて一緒に出かけることに。

300mほど歩いたところにレストラン(屋台に毛が生えたような感じ)があったのでそこに決めた。この旅二回目の現地食。バリ島で食べたミーゴレンとサテ(焼きソバと焼き鳥)とビールを注文。サテについてるパクチーをすりつぶしたようなソースは相変わらず苦手だったが、すべておいしかった。どうやら観光客はあまり来ないのか店員と地元の人に注目されてしまった。でも皆が笑顔だったのが印象的だった。

夜は宿で出会ったフランス人カップルと一緒にビアパーティ!またこのDJ目指している彼氏がめちゃ面白い。彼女のほうは英語が話せるんだけど彼氏はぜんぜん、「日本人は皆おまえみたいに飲むのか?」とかいいながら常に笑顔で冷蔵庫からビールをもってくる。盛り上がりながらも真面目な話(お決まりの漢字と日本語の話とか)もした。
早くも旅での出会いを満喫した2日目だった。
宿 2000/2/27 - 2/28 (2泊) KANCIL MR30/night
この日はちゃんと朝起きて自転車を借りてマラッカの街を探索したので、少しマラッカについての紹介を・・・。

14世紀にイスラム国家として繁栄したマラッカ王国は16世紀に入りアジア交易の要衝の地としてポルトガルに支配された。17世紀に入るとオランダが取って代わり、マラッカを拠点に日本や中国との交易を盛んに行った。フランシスコ=ザビエルもこの地から日本にやってきたのだ。 さらに18世紀からはイギリスが統。し、以降1957年まで続いた。この間にイギリスは中国からの移住をすすめ、マレー・イスラム・中国の混ざった独自の文化が形成された。 最近では中継貿易の中心はマラッカ海峡の出口シンガポールに移り、交易の中心としてのマラッカはないが、その分昔の雰囲気を残しているのが魅力艇だった。



観光地や中華系の町並みを少し離れると、現地の人々の生活を垣間見ることが出来た。
で、関係ないが「ビビッタ!」この川で体長1メートル以上あるようなオオトカゲが・・・。
「トラック野郎も顔負けか?」 は名物のトライショーとよばれる自転ヤタクシー(こんな派手なのはめったにないけど。。)カーステレオまで搭載していた。
街のおっちゃんたちが昼から酒を飲みながら将棋に似たゲームをやっていた。
右のおじいちゃんは新聞にもよく載っている有名な画家らしい。(かなり日本人好きだった。


フランシスコ=ザビエルの墓があるセントポールの丘から見た日没。マラッカ海峡越しにインド洋に沈む夕日は最高。ほんの10分位だったが、おもわず見とれてしまった。
何処で見ても同じなんだけど、コレだけでもマラッカに着て良かったと思った。インド洋に沈む夕日なんてなかなか見れないしね。(後日読んだ「深夜特急」の中でも「マラッカの夕日」が描かれていて、懐かしさでまた訪れたくなった)


夜のマラッカも探索したが特に繁華街といった感じの物はなかった。最近出来たであろう、バーみたいなのはあったが特に興味をひくようなものはなかったので結局宿に戻って、またフランス人カップルと飲んでいた。
酔っ払いながらも、マラッカ出発してどうするか決めかねていた。バンコクに着くまでにどこかリゾート地の島に行きたいなと考えていたので、「ペナン」「プーケット」「ランカウイ」「サムイ」などの情報を調べながら眠りにつていった。


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