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2003 Vietnam(3) Hoi An ホイアン

  • 執筆者の写真: Toshi
    Toshi
  • 2003年1月7日
  • 読了時間: 2分

更新日:2月2日


朝からサイゴンを出発する準備をして、12時に宿をチェックアウト。サイゴンから飛行機で約1時間、ベトナム中部の都市ダナンに到着した頃はもう日が沈見かけていた。しかもサイゴンと違ってかなり寒い!


 空港で出会った日本人とアメリカ人の夫婦と一緒にワンボックスタクシーでダナンから一路ホイアンまで。しかし良くこんな真っ暗な道でバイクも人もいるなかを猛スピードで走る。ちょっとビビリながら約1時間でホイアンの街に到着。


サイゴン → ダナン(VietnamAIR) VDN 950,000

ダナン → ホイアン(タクシー)     VDN 200.000/5人


古都ホイアンは美しい町並みが「世界遺産」に指定されている。

残念ながら、ぜんぜん良い写真が撮れていなかったので、ちょっとネットから借り物の写真で雰囲気をどうぞ。京都出身の俺としてはかなり親しみを感じる街。うるさいシクロや物売りも少ないし皆やさしそう。

朱印船貿易が盛んだった17世紀頃には長さ300mほどの日本人町があり、300人以上(1,000人以上とも)の日本人が住んでいたと言われているが[9]、1633年の第一次鎖国令(5年以上海外に住んだ日本人の帰国禁止)、1635年の第三次鎖国令(東南アジアからの帰国禁止)により、徐々に日本人は帰国した。名古屋の情妙寺にはホイアンとの朱印船貿易を伝える絵巻物が伝わる。日本からは銅・銀・刀剣を輸入し、香木等を輸出していた。

その後ホイアンでは大火があり、現在の街並みはすべて19世紀以降のものになっているため、日本人街の遺構は残っていない。日本人が造ったとされる来遠橋(通称「日本橋」)も、建築様式が日本のものと異なることから、後年架け直されたものと思われるが、1993年(平成5年)から継続的に行なわれている昭和女子大学らの発掘調査により、橋のすぐ横から木杭や板材が見つかり、それが本来の日本橋の遺構ではないかと見られている。発掘調査では、他にも古伊万里焼の破片や日本独特の仏具である仏飯器なども出土した。ホイアン郊外には1647年に没した谷弥次郎兵衛の名が刻まれた日本人墓地(昭和5年(1930年)に日本人によって修復されたもの)もある


Wikipedia, ホイアン, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3 (optional description here) (as of July 15, 2025, 00:06 GMT).


ホイアンの町

当時は昔の面影を残した、小さな町であまり観光客も多くはなかったように思う。


ベトナム戦争当時、アメリカ軍が大攻勢をかけるために再上陸したダナンのビーチも少し歩いてみた。さすがに、地雷とかは埋まっていないようだ。少し寒いので泳いだりサーフィンっていう人は少なく、地元の若者の遊び場という感じ。



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