2003 Cambodia (2) プノンペン
- Toshi

- 2003年12月2日
- 読了時間: 3分
前日にゲストハウスまで送ってもらったバイクタクシーを一日チャータして、プノンペンの市内を観光する。
王宮とシルバーパコダは午後からしか入れないというので、少し早めに昼食を取って「キリングフィールド」へ向かうことにする。

出発前に映画を見ておいてよかったと思った。何も知らずにガイドブック片手に着ただけだと、「ああ~ここが」てな感じで一観光地になっていたかもしれない。正直いって全てを直視する勇気が無かった。かがみこんでみると足元に転がる白い物が目に入る「石だよ・・」と言い聞かせつつ拾い上げるが、自分の中でこみ上げてくる感情は忘れられない。
~キリング・フィールド~1970年台、カンボジア内戦を終わらせたクメールルージュがポルポト政権下に行った非情な残虐行為。都市の住民を農村へ強制移住させ集団農園などで働かせながら一方で知識人や外国人といったあらゆる人たちを反逆罪で殺戮していった。当時のカンボジア国民の4分の1にあたる170万人もの人々を殺戮したとされている。ここプノンペン市内のキリングフィールド(カンボジア国内に他にも同様の場所が存在する)だけでも数万人の遺骨が散らばっている。
関連リンク:「ポルポトの死」 映画「キリングフィールド」

周囲で遊ぶ無邪気な子供達に気持ちを救われた気がするが、少年たちが着けていたスカーフにもドキッとする。学校も行けず観光客にお金をねだってくる彼らを見ると、仕事を休んでバカ面で観光に来ている自分の存在が情けなくなってくる。
その後、少し気分転換をしながら、王宮とパゴダへ。


繫栄を極めたクメール王朝が13世紀にアユタヤ朝に滅ぼされて以来、近代になってもカンボジア王国は、タイとフランスと日本に占領されつつも困難な歴史を歩んでいったそうな。1953年シハヌーク首相を中心になんとか独立を果たしたカンボジア王国はベトナム戦争の影響もありその後も苦難の道のり。そんななか1970年のロン・ノルのクーデターによりクメール共和国へ。
ベトナム戦争への支援が欲しいアメリカがロン・ノル政権を擁護し、ベトナム移民が多いカンボジアをアメリカに空爆させるなどの混乱が続いた。

そんな中、反ロン・ノル政権を打倒するためにシハヌーク元首相が頼ったのがポル・ポト率いる「クメール・ルージュ」。ベトナム戦争の終結とアメリカの撤退もあり、ロン・ノル政権が倒されると、クメールルージュ率いる民主カンプチアとなる。
中国の文化大革命に刺激を受けた毛沢東主義のポル・ポトが前述のキリングフィールドで書かれているように、プノンペンの市民を農村に移住させ知識階級を中心に170万人を超える大虐殺を行ったと言われる。
その後もベトナムに侵攻され、冷戦下の影響を受けて内戦が続き1992年に国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC。事務総長は明石康)が平和維持活動をするまで混乱が続いたカンボジア。
中世アジアで最も繁栄していた国と言われながら、国際的なイデオロギーと、隣国と冷戦の大国に振り回され続け混乱を極めたカンボジア。いま、こうやって一人でここを旅をして、地元の人と笑顔で話せるるまで平和になったのが奇跡のようなだ。

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